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GRANDE FOOTBALL PRODUCTS 20周年特別企画 坪井慶介×GRANDE スペシャルインタビュー"20年前の出会い" 後編



GRANDE FOOTBALL PRODUCTS20周年を記念して、GRANDE創設時に出会い、浦和レッズで共に時間を過ごしてきた坪井慶介さんと、GRANDEについて、浦和レッズでの現役生活について、今後の坪井慶介さんについて、お話をお伺いしました。

Interview 角田修一(GRANDE FOOTBALL PRODUCTS代表)



苦しいチーム状況で、自らもドン底を経験

角田:数々のタイトルを獲って、選手としてキャリアを積み上げていったわけですが、実感はあったのでしょうか。


坪井:うーん、正直、成し遂げた感はあまりなかったですね。その当時は自分がすべてのタイトルを獲ったということにも気づいていなくて、もっとACLでタイトルを獲りたい。2007年ではリーグタイトルを寸前で獲り逃しているので、リーグタイトルも獲りたい。常に上位にいて、シーズン終盤戦は優勝を争うヒリヒリする戦いをもっとやらないといけないと感じていました。


角田:現実としては、その後、タイトルから離れてしまうわけですが、坪井さんとしては2008年に日本代表引退をするという決断もありました。あの時はどんな思いで決断したのでしょうか。


坪井:オシムさんが代表監督になっても呼んで頂いたんですが、なかなか試合に出ることが出来ず、レッズでのパフォーマンスも落ちていると感じていました。代表に行って試合出場がなくストレスがたまるけれども、代表は誰もが選ばれる場所ではないので自分のエゴを出すべき場所ではなかったので、選ばれていて、そんなことを言っていてはいけないという想いと、プロの選手としては試合に出ないとだめだという想いのバランスが自分の中で取れなくなっていて、レッズでも良いパフォーマンスが出来ないと思っていました。


角田:レッズサポーターとしてはレッズに専念してくれることは嬉しかったという声もありました。


坪井:レッズが原点ですよね。自分がレッズで試合に出してもらって、そこでのプレーを認められて代表にも選ばれているけれども、今はレッズで納得できるプレーが出来ていなかった。オシムさんの存在も大きくてオシムさんがいる限りはと思っていましたが、倒れられてしまったというタイミングも重なってしまったこともあり、原点に戻るためには代表引退しかないと思って決断しました。


角田:レッズとしてもなかなか勝つことが出来なくなっている時期で、プレイヤーとして悩む部分もあったのでしょうか。


坪井:悩むことはなかったですね。レッズでどれだけのことが出来るか。何が残せるかを考えていました。本当は平川が羨ましかったんです。彼はレッズで最後まで終えることができた。僕もここで終わるべきと考えていたので。


角田:レッズは2011年には残留争いになり、サポーターからもプレッシャーもあったかと思いますが、坪井さんにとっては葛藤などもあったのでしょうか。


坪井:チームとしてもそうですが、僕にとってもプロ生活で成長するための最後のターニングポイントでしたね。あのシーズンは夏で移籍しようかと考えていたのですが、最終的にはチームからいらないと言われるまでやるんだと決断した年でした。チームの浮き沈みとともに、その時、その時で学ばせてもらって、チームが苦しい時に、自分もドン底に苦しくて、それによって多くの事が学べましたし、チームが良かった時には自分も良くて、それによっても学べたこともたくさんありましたね。


角田:レッズとしても苦しいシーズンが続く時期でした。


坪井:2007年までに多くのタイトルを獲ってきて、昔からのレッズの歴史はサポーターの皆さんの方が詳しいと思いますが、内容が良いとか良いサッカーをするというだけを求めてはいけない。結果を求める。その上でそこに至るまでにプロセスをどうするかをしっかりと考えないといけないと思います。


角田:監督もめまぐるしく変わって、やるサッカーも変わったことで戸惑うことはなかったですか。


坪井:それは選手内にありましたね。僕も古参になってきた立場だったので、そのようなことをチームに投げかけることはありましたし、ただ、はき違えてはいけないのは選手はプレーすることが一番やるべきことなので、どんな監督がきてもどんなことを求められてもやらなければいけないということも反面ありました。


角田:ご自身が中堅、ベテランの域になって、若手が入ってきた浦和レッズの目線としても変わってきたことはありますか。


坪井:特にレッズの下部組織から上がってきた選手は育ってほしいなという思いはありました。ただ、育てるというのは少し違うかなと思っていて、やはりプロの世界は這い上がっていかないといけない。僕はオフト監督に2年間フルで使ってもらったのですが、チャンスはもらいましたけど、育ててもらったという意識はなくて、それをつかみ取るかどうかは自分次第です。そのようなことを経験しながら若い選手が出てきて、ピッチで自信をもってやってくれるのが一番いいと思います。また、自分がピッチに立つ以上は、僕の時は内舘さんだったり、室井さんだったり、先輩たちがベンチに座る。そこを差し置いて試合に出るということの責任をすごく学べたので、自分が出てふざけたプレーをして失点をしたら、最初から先輩が出た方がよかったかもしれないと思うことも何度もあったので、若手の選手にも責任感を経験させていくのが良いのかなと思います。



移籍をして得た学び

角田:レッズで終わりたいという想いがありながら、最終的にはその後、移籍を決めたわけですが、その気持ちはどんなものだったのでしょうか。


坪井:その時は自分に正直にいこうと思って、ここで終わるのか、サッカー選手としてまだ動けるので、まだやるのか、そのどちらかだと思っていました。正直な気持ちになったらまだピッチに立ちたいと思ったので、どこであってもやろうと思いました。


角田:レッズで終わりたいという想いもありながら、まだ選手としてやれるという葛藤があったんですね。


坪井:浦和レッズでは最後に戦力外の提示を受けて良かったと思ったんです。浦和でやり切ったことで、引退をするわけでもないのに埼スタで挨拶もさせてもらえて、そのおかげでいつまで経っても浦和を応援してきた人は、今でも声をかけてくれます。それを考えると、あそこまで自分の我を通して続けられたのは残るものがたくさんあったなと思っています。最後までレッズで終えられた平川は羨ましいなと思うんですが、今となっては、僕は僕で良い道を歩めたなと思っています。


角田:最初に移籍したチームは湘南ベルマーレになったわけですが、移籍した時の印象はどうでしたか。


坪井:レッズしか知らなかったので、ちょっと違うなと思ったこともありましたが、今思うとそのような経験が出来て良かったと思っています。レッズより規模的には小さいクラブでしたし、整っていないものもありましたが、その中で同じように目標をもってやるということを違う所で経験が出来たのは、自分がサッカー選手である前に、人として成長する上でも大きかったと思います。


角田:土地柄としても湘南と浦和ではまた違うものがありましたか。


坪井:湘南の地は、海も近くにあるのでちょっと緩い雰囲気がありますね。サッカーを離れた時にオフの部分でリラックスできる環境であったのは非常に良かったと思います。浦和の方が何か濃い感じはしますよね(笑)


角田:湘南の後は、レノファ山口に移籍をしました。地方のクラブに行くという冒険もまたあったのかと思いますが。


坪井:湘南の時も山口の時も大学からレッズに行くような感覚だったんです。また入団だという新鮮な思いがありましたね。


角田:怖いサポーターはいました?


坪井:いないですね(笑)レッズサポーターの方はどこでもツボと言ってくれるんですが、湘南、山口のサポーターは絶対にツボさんなんですよね(笑)ツボさんじゃなくていいんだけどなとは思っているんですが、これもレッズでやってきたことの評価をしてもらって、レッズでやってきた人が来たということなのかと思います。


角田:リスペクトをした上で迎え入れているということなんでしょうね。


坪井:今でもレッズサポーターの方にツボって呼ばれると、おっ!知ってるね。一緒に戦ってきた人だねと思うんです。


角田:ベルマーレの選手として、埼スタに来た時の印象は?


坪井:僕はベンチに座っていたのですが、埼スタで試合ができることは良いなと思っていましたし、その反面、チームに対して、選手に対してもっと頑張れよとも思っていましたよ。チームを離れて強く思うようになりましたね。


角田:キャリアを色々と積んできて、最後は山口で現役生活を終えるわけですが、一言二言では言い切れないと思いますが、どんなサッカー人生でしたか


坪井: 山口での最後のセレモニーでも話をしたんですが、幸せなサッカー人生だったといったのですが、何がそう思わせてくれたかというのは、色々な人との出会いも含めてサッカーによって色々な気付きと成長を与えてもらったことが一番大きいですね。


角田:セレモニーには平川忠亮さんと、小野伸二さんが来たんですよね。


坪井:まさか山口まで来られないだろうと思っていたのですが、本当に感謝の思いがありましたね。平川には、俺もそっちに行くよということと、伸二には想いを託すぞと、直接は伝えてはいないですけど、自分の想いとしてありましたね。



これからの坪井慶介

角田:現役を終えて現在はタレントとして活躍をしていますが。


坪井:新たなことを始めて振り出しに戻ってきた感じですね。サッカーをやってきたベースはもちろんあるんですが、社会人一年目だと思ってやっていますし、すべてのことにNG無しで仕事を受けています(笑)。41歳になりましたが、色々なことに気付きと成長があればいいなと思っています。


角田:これからの坪井慶介はどうなっていくのでしょうか?


坪井:どうなっても歳をとっていき、段々、サッカーをやっていたことも知らない子も増えてくると思いますが、このおっさん元気だなと思われて、昔サッカーをやっていた人なんだと思ってもらえて、自分を通してサッカーを見てみようかなと思うキッカケになってもらえれば、自分が育ててもらえたサッカーに少しは恩返しができるかなと思います。


角田:指導者にはならないんですか?


坪井:それは高校、大学の先生にもどうしてやらないんだと言われたんですが(笑)現時点では指導者になろうとは思っていないです。この先どうなるかは分かりませんが、現役の時以上の情熱がなければ指導者は出来ないと思っています。現役で頑張っている人間がいて、それ以上の覚悟がないと出来ないなと思っていて、その覚悟はまだ自分にはないなと思っています。


角田:指導者になるあかつきには、ぜひ浦和に戻ってきてほしいとサポーターを代表して伝えさせて頂きます(笑)


坪井:絶対にやらないとは考えていないので、その時々に色々な事に目を向けられる立場にあるので、柔軟に考えていければと思っています。



角田:20年前に会った坪井慶介と、何も変わらないなと思っていて、これから新たな坪井慶介が続いていくんだろうなと思いました。最後にGRANDEへのメッセージもいただけますでしょうか。


坪井:最初はGRANDEのことを何も知らなかった若造が、一緒に苦楽を共にできた。特に「苦」の部分を(笑)。良い時はほっておいても良いので、苦しい時に歯を食いしばって過ごせたことはすごく大きいことなので、これからも色々な形でGRANDE自身も成長をしていくと思うので、自分も負けないように成長をしていって、色々な形で関わっていって、お互いに成長ができればと思っています。


角田:ありがとうございます。これからも共に歩んでいければと思っていますので、宜しくお願いします。


坪井慶介 Profile

福岡大学を卒業後、2002年に浦和レッドダイヤモンズに加入。ルーキーイヤーからディフェンスの一角のスタメンを勝ち取り、新人王、ナビスコカップニューヒーロー賞、フェアプレー賞を受賞。2003年に日本代表に初召集されて、2006年ドイツワールドカップ出場。黄金期の浦和レッズを最終ラインから支えて数々のタイトル獲得に貢献した。2015年に湘南ベルマーレへ移籍して、J1昇格等に貢献。2018年にはレノファ山口へ移籍。2019年シーズンを最後に現役を引退した。引退後はタレントへと転身して、各分野で活躍中。




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