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GRANDE FOOTBALL PRODUCTS 20周年特別企画 坪井慶介×GRANDE スペシャルインタビュー"20年前の出会い" 前編


GRANDE FOOTBALL PRODUCTS20周年を記念して、GRANDE創設時に出会い、浦和レッズで共に時間を過ごしてきた坪井慶介さんと、GRANDEについて、浦和レッズでの現役生活について、今後の坪井慶介さんについて、お話をお伺いしました。

Interview 角田修一(GRANDE FOOTBALL PRODUCTS代表)

GRANDEとの出会い

角田:GRANDEは今年で20周年になりまして、ちょうど20年前にお会いした坪井さんと色々なお話ができればと思います。出会いは20年前の福岡だったのですが、2002年の日韓ワールドカップ開催の前に、GRANDEで札幌と福岡でイベントをやっていて、福岡でのイベント会場に、福岡大学に在学していた坪井さんが来て頂いたんですよね。あの時のことは覚えていますか?

坪井:鮮明に覚えています(笑)僕がレッズに行くことが決まっていたので、福岡大学の二つ上の先輩にレッズサポーターのリーダーの方が来るから来いと誘われて行ったんです。レッズに行くことを決めた理由の一つはレッズサポーターに魅せられたことでした。小野伸二選手がオランダに移籍する最後の試合を駒場スタジアムで観戦したのですが、あの駒場の雰囲気を含めて痺れてしまって、それで浦和に行くことを決めました。あの観衆の前でプレーが出来たら幸せだなという想いでした。そんなこともあったので、レッズサポーターを束ねられている方が来るということで、これは挨拶に行かないといけない、と思って足を運びました。

角田:2000年にGRANDEを始めて、直後のイベントだったのですがGRANDEの印象はどんなものだったのでしょうか。

坪井:その当時はそこまでの知識もなかったので、GRANDEがどういうものだったかを正直知りませんでした。サポーターの皆さんが着ていたのは知っていたので、サポーターの方が着る公式のものかなという印象がありました。角田さんの第一印象はすごい怖かったんです(笑)。会ったシチュエーションも、イベント会場の暗い所の一番奥にどしっと座っていたので、そこに行って「はじめまして、来年入団する坪井です」と挨拶をしたと思います。門前払いされたらどうしようと思っていました(笑)

角田:浦和レッズには厳しい目があって、そこを勝ち抜いてほしいという想いもあったので、「ピッチに立って名前を呼ばれることがレッズの選手としてのプロの第一歩だよ」と話をさせてもらったことは覚えています。

坪井:あそこで会えたことで、レッズ入団をする前に身が引き締まる思いがしたと思います。



プロ選手として背負う責任を感じた2回のファイナル

角田:その後、ルーキーイヤーから開幕スタメンを勝ち取ったのは驚きましたし、開幕から応援コールとして名前を呼ぶことが出来たと思っていましたが、本人としてはどういう想いだったのでしょうか。

坪井:もちろんそこを目指していましたが、実際にそうなれるとは思っていなかったので、自分でも驚きでしたね。そこから試合に出続けることになって、一年目はとにかく自分に必死で全力で階段を上っていくという感じでした。

角田:僕としては最初に出会って言ったことをことごとく乗り越えてくれたので、スペシャルな選手なんだなと思いながらスタンドから見ていました。階段を駆け上がるようにキャリアをスタートしましたが、入団一年目にはナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の決勝に進出をして、浦和レッズとして初タイトルがかかった試合に出場をすることになりましたが、あの時の想いを教えていただけますか。

坪井:一年目からタイトルが掛かった試合に立てると思っていませんでしたが、レッズにとっても初タイトルが掛かった試合ということで、責任を感じる試合になりました。開幕から試合に使ってもらって、決勝は11月にあったと思いますが、その辺りでようやく自分が頑張ることで、チームのためにはなるのはもちろんですが、意識としてそれだけではダメなんだということを一年目から経験できたのは大きかったですね。

角田:出会った一年後にあのような舞台に立つというのは感慨深いというか、僕としては誇らしい気持ちでした。

坪井:あの時、準優勝のメダルが首にかけられるんですが、僕はすぐに外してポケットに入れたんです。顔をくしゃくしゃにしていたら、福田正博さんが「なんでお前が泣いているんだ。お前はベストを出しただろ。俺にはもうチャンスがないけど、お前にとっては先がある。メソメソしていたらダメだ」と言ってくれたんです。おそらく福さんは自分がこのような場に立てるのは最後だと感じていたかもしれないですね。角さんにも入団前にピッチに立って名前を呼んでもらう。一緒に戦う責任ということを教えてもらって、決勝で負けたことでさらに色々な人がこの一瞬のためにどれだけ想いと力を注いでいるのかと感じたので、プロとして精神の成長を与えてくれたのは一年目の決勝での敗戦だったのかなと思います。

角田:翌年にはもう一度、鹿島アントラーズとの決勝になって、サポーターも鹿島は勝たなければいけないチームだと植え付けられていたので、また鹿島が相手かと燃えていたのですが、プレイヤーからして、負けた相手にもう一回挑むということも含めて、どういう想いだったのでしょうか。

坪井:僕の中では、借りを返す舞台が整ったなと思っていました。前年、鹿島に負けた借りは鹿島でしか返せないと思っていましたし、他の選手もそう思っていた人が多かったんじゃないでしょうか。

角田:あの決勝で語り草となっているのは、エメルソンとの激突というのがありますが、あの瞬間の記憶というものは?

坪井:あの時は、無でしたね。僕は僕でマークをついていて、あの時に小笠原満男が合わせてくると思っていたので、きた!と思っていたのですが、まさかエメルソンがそこに身体を張ってくるというイメージもなかったですし、ボールの行方だけに集中をしていたので、最初は誰と衝突したかも分かっていない状況でした。

角田:エメルソンも気持ちが入っていたということなんでしょうね。あの怪我をしても坪井さんがピッチに出てきた時にはスタンドも盛り上がって、あの時の高揚感はすごかった。選手がここまでやっているんだから勝とうという雰囲気になりましたね。2回目の決勝のピッチに立った時の雰囲気はどう感じていましたか。

坪井:僕個人もそうでしたし、チームの中でも前年に比べて高ぶるものはありましたけど、落ち着いて臨めるなという雰囲気がありましたね。

角田:それは全くサポーターも同じでしたね。前年に地に足がついていない状況で負けた経験が生きて、地に足をつけてサポートしようという雰囲気がスタンドにもありましたね。

坪井:おそらくサポーターもチームも含めて、示し合わせたわけではないですけど、そういう空気が国立には出来ていたということを感じますね。

角田:やはり、そういうチーム、選手、サポーターが一体になった時の雰囲気の浦和レッズは強いなと思いますね。

坪井:まさにそうですね。入団する前は、浦和は何かも分からずに入ってわずか2年で、色々なことを教えてもらうことが出来ました。



代表で刺激を受けた同級生たち

角田:レッズが強くなる時代と並行として入ってきたプレーヤーだったので、坪井さんが入ってきたことによっての変化は感じます。浦和レッズとしてもホームスタジアムが駒場スタジアムから埼玉スタジアムに移っていくタイミングになっていくわけですが、埼スタの印象は?

坪井:もちろん駒場も好きなんですが、サッカー選手としてサッカー専用のスタジアムでプレーできるというのは幸せでしたし、あのスタジアムが真っ赤になる雰囲気は最高でしたね。代表でもあのような雰囲気は味わえないものでした。

角田:2003年には日本代表にも初選出されるわけですが。

坪井:最初はオフト監督から選ばれたことを聞いたのですが、冗談を言っているんじゃないかと思うぐらい驚きましたね。僕は若い年代から代表に選ばれたことがなかったので、最初はすごい緊張をして、この練習着を着て練習をして良いのかと思うぐらいの気持ちでした。

角田:日本代表になりたいという目標のようなものはもっていたのでしょうか。

坪井:2002年は日韓ワールドカップが開催されたので、いつか自分もあのような舞台で活躍したいという漠然とした目標はありましたが、具体的に日本代表になるという想像までは出来ていなかったですね。

角田:日本代表で刺激を受けた選手はいたのでしょうか?

坪井:刺激になったのは同級生たちですね。僕の年代はワールドユース準優勝だったり、若くしてJリーグで活躍している選手も多かったので、僕からすると憧れに近い選手たちでしたが、彼らと一緒にプレーするのが嬉しかったですね。やっと同じ舞台に来られたんだという思いもありましたね。


思い出深いタイトルゲーム

角田:2003年に初タイトル、2004年はセカンドステージ制覇、2005年は天皇杯優勝。2006年リーグ優勝、2007年はACL制覇と、浦和レッズのタイトル獲得にすべてピッチに立って貢献をしてきましたが、一番印象に残っているタイトルは?

坪井:ナビスコカップ初優勝とACLですかね。ナビスコカップ決勝では同じ場所で、同じ相手とやり返すことが出来たというのが良かった。歳を重ねてから若い選手には、ピッチの中で起きたことの借りはピッチの上でしか返せない。それぐらいピッチに立つ上では準備もそうだし、集中力を持って臨まないといけないと伝えていました。それをあの時点で僕は経験をできた。あの2年でプロとしてあるべきことを多く学べた。その意味でも印象深いですね。

角田:ACL優勝もやはり思い出深いものがあった?

坪井:代表選手として海外でプレーすることは経験をさせてもらっていたのですが、自分が所属するクラブチームとして海外に行って戦って勝ち抜いていけるのが、スケジュール的にも肉体的にも精神的にもきつかったんですが、すごい楽しかった。優勝の達成感はACLの方が上でしたね。

角田:それはサポーターとしても全く同じですね。代表だけが海外とやりあうだけではなくて、代表よりも優先順位が高い浦和レッズが海外で戦っているということを自分たちがやれているという実感があって、きつかったけど、すごく楽しかったですよね。決勝では、イランのアウェイ戦だったり、韓国での全北や城南での試合もいまだに忘れられないですし、一人一人が戦っているというのが海外で見られてこんなに幸せな時期はないという印象があります。どの試合が一番印象的でした?

坪井:やっぱり、優勝を埼スタで決めた試合ですかね。あの試合の雰囲気は、なかなか味わえるものではなかったですし、ナビスコ初タイトルの時とはまた違う雰囲気でした。ピッチに入った時は緊張をするというよりは、ここは本当に日本なのか、ヨーロッパじゃないかという雰囲気だったのがすごく嬉しかったですね。

角田:サポーターもレッズが弱い時からアジア制覇が念願の夢でしたし、それが実現するという舞台が埼スタで、あの雰囲気というのはすごかったですよね。平日にも関わらず超満員になって、テレビ中継もあって、世間的にもサッカーの醍醐味を伝えられたんじゃないかなと思いましたね。あのACLで、印象的だった選手はいましたか?

坪井:特別にリーダーシップを取ったり、先頭に立ってやった人はいなかったかもしれないですが、僕の中では岡野さんの存在は大きかったと思いますね。チームが一声欲しい時に岡野さんがなんとなく一声をかけてくれる。少し緊張しすぎているなという時は笑わせてくれました。印象に残っているのは、セパハンのアウェイでの試合で、試合前に僕がロッカールームの前を裸でウロウロしていたんですけど、お前ロッカー間違えているよ、相手チームの選手だろと言われて、なごんだという思い出がありますね(笑)。岡野さんはおそらく何かを感じ取って、少しピリついていると思っての行動だったのかもしれないですね。

角田:ACLでは準決勝の城南一和戦の激戦を制したことが、決勝の自信になったのがあったのではないでしょうか。強靭なフィジカルとメンタルを持った選手が多くて、スタンドにいてこの相手は強いと思っていました。

坪井:城南はめちゃくちゃ強かったですよね!平川が、試合が終わった後に「よく俺ら勝ったな」と言ったのを覚えています(笑)ACLを通じてこの相手は勝てないかもしれないなと思うぐらいの相手でしたね。チームの中で強さは認めて、自分たちがやれることを全部やるということで結果が繋がったのかと思いますね。


(後編に続く)


坪井慶介 Profile

福岡大学を卒業後、2002年に浦和レッドダイヤモンズに加入。ルーキーイヤーからディフェンスの一角のスタメンを勝ち取り、新人王、ナビスコカップニューヒーロー賞、フェアプレー賞を受賞。2003年に日本代表に初召集されて、2006年ドイツワールドカップ出場。黄金期の浦和レッズを最終ラインから支えて数々のタイトル獲得に貢献した。2015年に湘南ベルマーレへ移籍して、J1昇格等に貢献。2018年にはレノファ山口へ移籍。2019年シーズンを最後に現役を引退した。引退後はタレントへと転身して、各分野で活躍中。





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